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「今度、宮城県沖地震がきたら、この石塀は取り壊そう・・・」
この家に嫁いで二十数年そう思い続けておりました。そしてとうとうあの東日本大震災がやってきました。昭和53年の宮城県沖地震とは比べものにならない・・・(数百倍怖かった)。ぐずぐずできません、一目散に自宅に戻り真っ先に問題の石塀へ、が、自宅周辺は普段の様相、崩れ倒れもなく、今朝出勤前となんら変わったところなどない、何回も何回も見て念のためもう一回見て、やはりいつもの風景。余震が幾度となく襲いくるも、必死にその揺れに耐えているようでもありました。あれから3年・・・石塀は今もそのままです。

 「今度きたら壊そう・・・」そう思っていましたが、今回の地震で壊れないのなら、このまま大丈夫かもしれない、頻繁に点検しながらできるだけこのままにしておこうか、今は亡き父母が一生懸命共働きで築き上げた財産でもある、むろん当時の苦労も承知している、もったいないことだ・・・。                   

 日々会社と自宅の往復に忙殺され、自宅庭の風景を楽しむことに関心などもてないでおりました。去年伊達市では、全域除染のため我が家の庭も、一週間作業にあたっていただきました。不幸中の幸いか我が庭は高級料亭のように見違えたのでした。こんなにキレイだったの?亡き父母が造った庭、こののちも大切にしなければ・・・。庭灯籠が数基置かれているので撮影してみました。夏は涼しげで、冬はまた淡雪をのせてそれは風情のあるワビ・サビの世界、障子戸からの眺めは絶景であります。

 千年に一度の大震災、福島第一原発メルトダウン時のたとえようもない不安と恐怖にさらされ、人生ここまできて後半あと少しなのに、なんで?と情けなく悲しむことさえあきらめて、ただこの庭が除染されて本来の姿に甦ったように、亡き父母が遺してくれたこの癒しの空間この場所で、かつて父母達がここでなごみ安らいだように、私達もまた安穏を享受できればと思っております。

 庭石や灯籠はその美しさもさることながら、人間に慰めと癒しをもたらす神秘性をもちつつ万物を恢復へと向かわせる力があるのではないでしょうか。
起きてしまったことはいたしかたありません、前へ進むのみ。でも、心がくたびれ疲れ果てたとき、そうだ、あの庭で灯籠をぼんやり眺めよう、今宵も月夜に幻想的に蒼白いひかりを集めて静寂の中に佇んでいるから・・・。

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