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今年も夏が来てしまいました。そして夏が苦手なのにまた性懲りもなく花火を見てしまいました。

我々は会社としても個人としても少なからず夏を大切にしている職種なこともあり、の割には四六時中忙しさに追われていると夏のせいではないのに夏がイヤになってしまいそうですが、個人的に暑さに弱いところを差し引いても夏は盆踊りや花火など風流なイベントも数多くあるよい季節です。

年の瀬のあの日本全土がいい意味で調子に乗ってるあの感じも捨てがたいですが。というかそちらの方が好きですが。
また、夏になると怖い話(苦手)なども無駄に始まりますが、霊的な感覚がまったくない自分も、お盆中のこの何やら地に足がついてないような、何やらふわふわしたような独特の雰囲気を感じるにつれ、確かに普段開いてないどっかのドアが開いてるような奇妙な感覚を覚えます。

花火に話を戻しますが、あれは強力な「送り火」としての意味を持つようで、大小に拘わらず迷う魂を「上」に送る事ができるのだそうです。
あそこまで大きく派手になった元々の理由は、技術追求の他に「行方がわからない山中の戦死者にも送り火が届くように」であったといいます。

夏の日本でのイベント(というか実は夏に限らず)はほぼ全て霊的な意味を持っており、日本人というのは故人を尊重する気持ちが強く、また何より優しい民族だとつくづく思わされます。
お盆はこれからですが、そのような事を考えながら先日はちょっと早めの花火を見てました。

お盆は亡くなられた方々がこちらに戻ってくる時期というのは知られていますが、何をするでもなくても誰と話すでなくとも、ただ生前を過ごした場所や子供の頃に遊んだ場所をホテホテと歩いて、お祭りやら盆踊りのヤグラを1人眺めて、時間が来たら帰るだけだとしても、まあそれだけでも例えば自分だったらその何日間を物凄く楽しみにするのではないかと少し想像してました。

暑さは大変苦手ですが、まあ確かに尊い記憶のいくつかは夏に作られてきた気がします。
自分の父親がいつか「自分は生きてあと10年」だとヌかしておりました(割には無駄に元気です)が、例えばラスト10回を切る夏というのはどんなに奇麗なものに見えるのか、と考えたりもします。
いくら故人を偲ぶ気持ちが強い日本という国でも、どこでも、人同士のお別れは「確定していること」で、避ける事はできません。
最後はゼロになるとしても、せめて自分と関わる相手の良い記憶を増やして行ければと思ってました。
そして家族や友人とのどうーーでもいいような、なんーーでもないような日が1日でも多く続けばいいと思いながらぼんやり夏を過ごして行きたいと思います。
そして故人を偲ぶ気持ちが強い日本という国は、そういう願いに関してとても恵まれた環境にあります。

亡くなった方を偲ぶ仕事のかなりはしくれに、自分が片足突っ込む事が出来たのもまた、ちょっと尊い事なのかも知れません。

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